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「寄り添う」とは何を指すのか、確かに、何らかの定義がないので、混乱するのかもしれません。そのことに知り合いの問いかけで気づかせていただきました。ちょっと考えてみました。

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ぼくのイメージですが

・支援しようとする当事者はあくまで他者なので、その感情の細部まではわからない、ということを前提に

・その人の位置から見える風景を見てみる。

・その感情を内在的にわかろうとする。

・その当事者を覆う抑圧や構造的暴力を理解できるように努める。

・抑圧や構造的暴力と対峙し、そこに立ち向かう方法を考える。

・対峙し、そこに立ち向かうのは当事者だけではない、また支援者と当事者だけでもないということを理解できるようにする。

・それらのすべてをできるだけ当事者との共同作業で行う。

・また、支援者側も孤立しないことが必要

・とはいうものの、考え、決めるのは当事者自身であることを忘れない。

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いま、思いついたことをざっくり書いただけで、穴だらけかもしれませんが、そんなことを考えたのでした。きっかけをありがとうございます。

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「困難な状態に寄り添われてしまっては、自分を見舞う苦渋に満ちた生活は変わらない。自分の話は理解されたいが、受け止められてしまっては自身の変化する可能性が奪われてしまう」とありますが、私はそうは思いません。支援にかかわるものとして、困難な状況であるという気持ちに寄り添って、当事者がその状況をどう変化させるのか、その道筋を探す手伝いをすることが大事なのではないかと思うのです。

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