先だっては少しばかりややこしい話で終えたので、今日は半返し縫いみたいに振り返るところから始めてみようと思う。
前回は締めにあたって「自分らしさ」への違和感を抱いてしまうことについて述べ、続けてこう書いた。
なんでそんなことになるかと言ったら、自分というものは感覚で把握するしかないけれど、「これが自分らしさだ」と感じられてしまったことは、実は感覚ではないからだ。そうした意識的に演出された自分を「自分らしさ」と思っている。でも、それは「自分らしさ」というコンセプトにすぎない。
出てくる単語は「感覚」「自分らしさ」「意識」くらいだから、込み入った話に感じるのは語彙のせいではないことはわかってくれるはずだ。ただ文意はこうなっている。
「自分というものは感覚でわかるしかないんだけど、そうしてわかってしまったもの…