死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
太宰らしい外連味が漂う一文ではあるが、最後に本意かどうかはともかく、ほんとうに死んでしまったので、それはそれでケレンの辻褄はあったとは言える。
俗受けするハッタリと言いはしても、私にとってはこの文がしっかりと浴衣の枕詞のようになってしまっていて、だから浴衣はいつかの時点で死を連想するものとなっている。
今夏、浴衣をあつらえた。生まれて初めてのことだ。
先日、浴衣を着て集う会が催され参加した。江戸時代は蔭間茶屋が立ち並んでいた界隈の古民家を改装した家屋は適度にリノベーションされてはいても、階段は旧来通りの幅が狭く勾配も急。現代人にとってのぼりづらい。
だが、慣れるとエスカレーターのごとく自然と足が運ばれる。おそらくは着物を着ていた時代の感性と相性がいいのだろう。
誰の発言かは忘れた。その場のひとりが「このような階段で蹴躓いて死ぬこともあるかもしれない」と言えば、その言葉を引き取って他の人が「そのようなことは取り立てて言うほどのことはない。ごく当たり前に日常に死はあるだろう」と言う。
異論を唱えるのでも所信の表明というのでもなく、ただ彼女はそのように吐露した。
参加者には武術を嗜むものが多い。大なり小なり死について感じるところ思うところはあるだろう。
殺される。あるいは殺すことについては、暴徒や通り魔に襲われる、立ち向かうといった非常の死を想定しているのかもしれない。日常とあまりに地続きに訪れる出来事を勘案していないのかもしれない。そう私は感じた。
しばらくのち氷とビールの追加を買いに表へ出た。辺りは少し整備されているが所々に脇に逸れる小道が残っている。都心に比べると街灯も暗い。こんな景色に出会うと緊張が走る。
物心ついた頃から私が繰り返し想うこと。それはこのような道を曲がった先に私を待ち構えているものがいる。刀や竹槍や鳶口を持って。そして、その時に思うのだ。「ああ、やっぱり」と。
彼らは私の知らない人ではない。むしろ見知った顔が私を殺しにかかるのだ。その容貌は普段見慣れた顔を面のように張り付けてこちらを見据えている。あまりに日常と地続きに虐殺が起きる。その予感をいつかの日からか抱いている。かつてもそうだった。根を絶やされた人たちは、あなたたちの隣人であった。
浴衣はいつかの時点で死を連想するものとなっていると書いた。来夏も生きていたら着るだろうと思う。
こわばりの部分が自覚されました。
いつもありがとうございます(-o-)/