生きづらさについて考えるとき、他人の生きづらさよりは、まずは自分の抱えていることに向き合うのが定石だろう。その際、言葉を手掛かりにする人がほとんどで、しかも誰かの言った言葉が考える上での主な供給源になっているんじゃないかと思う。それが偉い人の名言だろうが、気に入らない人の言動だろうが、わざわざそれを覚えて律儀に反芻しては発奮したりモヤモヤしたりする。
そう思うと、僕も含めて当世の人たちは言葉になりきらない「なんとなく」の自前の感覚に身を任せて鼻歌まじりにご機嫌で暮らすというのはなかなか難しい。それくらい「なんとなく」は軽んじられるし、「許されることじゃないんだな」と思わされる場面が多い。すぐに「根拠は?」「エビデンスは?」と聞いてくる人がいるし、「それはあなたの主観ですよね」と言えば何か言った気にな…