10年ほど前の話だ。SNSを通じて「是非とも会って話がしたい」と連絡を寄越した人がいた。なんらかの切迫した思いを感じる短い文面だったと記憶している。
その日、私は神戸は岡本の喫茶店でコーヒーを飲んでいた。10代の頃から通っている店なのだと呟いた直後にリプライが届いた。
プロフィールを見ると高校生と思しき人物だった。その日は所用があり、彼女の申し出に断りを入れ返事した。また機会があればお会いしましょうと。
数ヶ月経って神戸に戻った際、その喫茶店で会うことにした。挨拶を終えると、彼女は訥々と自分の考えていることを話し始めた。もの書きになりたいとも考えているが、それにあたって踏まえるべきことやするべきことは何か。学ぶとはどういうことなのか。そのような話を一通り終えるとすでに2時間あまり経っていた。
晩秋の日の暮れは早い。そろそろ帰宅した方が良いかと思った按配で、彼女はこちらをひたと見つめ、こう切り出した。
「世界が平和になるためには何をすればいいと思いますか?」
ごまかしを許さない16歳の瞳の色だった。私はこう返した。
「平和と争いは並立すると思います」
争いを排除すれば平和がもたらされるわけではない。共生社会と人はいう。がしかし、社会よりも幅の広い世界、人間を含む自然界に共生が成り立っているのは、垂直方向に支配秩序が貫徹しているからだ。秩序を競争と呼んでもいい。弱肉強食あるいは優勝劣敗と呼んでもいい。争いが私たちのこの世界の鉛直方向を貫いている。
その事実から「強いものが勝つ」と短絡する手合いが多すぎる。結果として強いものが勝つのであって、ライオンが常に強者の立場に居座れるわけではない。ライオンもまた食われる。人間も土に食われる。
剥き出しの支配秩序を和らげるのが制度であり思想であるだろう。制度と思想の中で暴力にさらされる割合は減るが、かといって暴力が廃絶されるわけではない。私は彼女に向けてそんなことを話した。
私が殺されるとき、殺されるのは私であって、あなたではない。なぜ私でなければならないのか?の問いに対する答えはない。生まれてきた意味などあっさりと消され、生きているこの身体が挽肉にされるような出来事で日常は溢れている。
不意打ちの運命を何かに食われるとするならば、人間もまた食う食われるの争いの関係から逃れることはできない。生きることは暴力の渦中に身をさらし続けること。生きることは暴力的でしかありえない。暴力は常時あり、破滅的な出来事はいつやってくるかわからない。
ならば暴力を排除することで平和はやって来るだろうか。確かに法は暴力を禁じる。だが禁を超えて暴力は侵入し、身のうちから溢れ出す。
平和をもたらす上で暴力が問題だとするその発想においては、暴力の対義語を非暴力もしくは平和と考えるかもしれない。
私は暴力の対義語は武だと思っている。武は暴力を内包している。暴力になり得るかもしれない。だが、せめぎ合っている。
せめぎ合いの中にしか安寧はありえない。平和とは絶えず争いが暮らしの中にある状態でもある。
私が私であることは他を排他的に扱うことかもしれない。この場に立つことができるのは私ひとりだからだ。いつも他者とせめぎ合っている。
だが、だからこそ「この私」こそが私にとって他者なのだ。我が身ひとつのことを考えてやまない、暴力に雪崩れ込みがちな私とこそせめぎ合い、しのぎを削らなければならない。それは武の本領だろう。
平和は存分に思い描かれるのが良いと思う。だが武は思想の言葉、主義の言葉にはならず、経験に留まり続ける。それがかろうじて私が暴力そのものにならないことを、せめぎ合いの中で担保するだろう。
暴力の反対にあるものとは
隙間がひろがり風を感じました。ありがとうございます(-o-)/