失われた親指を求めて vol.3
暴れる手
雀鬼に聞いたしつけの話
桜井章一さんにインタビューしたことがある。桜井さんと言えば、裏麻雀という賭け事の世界で20年間無敗を誇った人で、ついた異名が「雀鬼」だ。
一線を引いた後、彼の主宰する雀鬼会と呼ばれる集まりには、社会にうまく馴染めない若者がたくさん関わるようになった。そこで人を育てるとはどういうことなのか?というテーマで話を聞いたのだけど、話題が子供のしつけになった。
ある日、桜井さんの孫が高いコーヒーカップを割った。まだ言葉も喋れない赤ん坊だとわかっているけれど、周りにいた大人たちは「ダメでしょう、こんな高いものを!」とつい口にしてしまった。その瞬間、桜井さんは手を叩いて「お見事」と孫に向けて言ったんだそうだ。
高いものを割ったとき、損得感情から叱ったりするだろう? だけど赤ん坊にはその価値観がわからない。あくまでひとつのものだよね。それが割れた。大人はそれを「○万円」という価値観で見るから怒る。じゃあ安かったらいいのかということになるじゃない。安かったら目をつぶるかもしれないけれど、高いものだと怒る。それが善悪の基準になっている。
だけど子供はそうした損得感情を崩してくれるんだから、壊してくれて「ありがとう」だよな。大人の価値観を崩してくれるんだからさ。もちろんわざとじゃない。ものを動かす中でカップを壊した。そこには罪はない。それを大人の立場の価値観を教え込むにはまだ早過ぎる。
現実と折り合いをつけることばかり学んできた
桜井さんは「早すぎる」というけれど、0歳児からの早期教育に熱心な親もいる。彼らは子供に大人の価値観を植え付けることをしつけと疑わないだろう。しつけの全部が悪いと言いたいんじゃない。「これを守っておかないといろいろ社会を生きていく上で不都合だよ」と、親が我が子の身の安全を願っての、それゆえに個人的に培って来た処世術の押し付けでもあり、しつけとは全体として言えば生き延びるための術ではあるだろう。
「とにかく安全に過ごしてほしい」という思いが願いなのか親のエゴなのか。しつける本人もわからないこともあるのだろうなと、僕に子供はいなくても想像できるのは、親が自分に対してとってきた態度を見てそう思うからだ。
すでにある社会の常識や道徳、働き方、そのほかの考え、行動様式におとなしく順応して生きることが、しつけのすべてになるとけっこうキツい。それだと、すでにあるルールを守るほかないからだ。まじめに受け取れば「良い子」にはなれるし、誉められるけれど、常に発想が「~でなければならない」になりかねない。
ややこしいのは、本人が「~でなければならない」で行動していると思っていなかったりすることで、思春期あたりにだんだんと窮屈さを感じて「なんかおかしいぞ」とようやく感じ始める。
「なんかおかしいぞ」が「生きづらい」に翻訳されるまでにまた時間がかかるのは、親の考えを否定するという関門があるからだ。良い子で育って来たのであれば「この状況はつらい」と口にしてしまうことは、親の期待を裏切ることになると思ってしまう。踏み越えるハードルが高いから、生きづらさの表明が親子関係という回り道を辿っての葛藤として現れて、解きほぐすのもややこしくなる。
生きる+つらい≠生きづらい?
親なり社会が提供する価値観に順応して暮らしてきたせいなのか。物事を細かく腑分けして見る訓練が足りないことが多いんじゃないかと思う。
たとえば、前回「生きづらい」という言葉の使い勝手の良さがもたらす功罪を踏まえ、「言葉と自分の感情を癒着させないことが大事」と書いた。「生きづらい」をもう少し精度を上げて見たら本当は別物のはずの「生きる」と「つらい」を一緒くたにしているのではないか。社会にうまく馴染むようにしつけられ過ぎたせいで、社会と一体化できないことがいけないと思い込んでいる。
「人とうまく関われない」「何の仕事をやってもうまくいかない」だとか、滑らかに現実が流れていかないときに人生が空転するような虚しさを感じると思う。
このときに「生きづらい」とため息をついてしまうのだけれど、ため息ではなく必要なのは一息つくことじゃないか。というのも、ここで起きているのは生きること自体のつらさではなくて、世の流れと自分の時間感覚の違いがもたらす「ズレ」をつらさとして感じているかもしれないからだ。
僕の場合は、つらさは「精神的な葛藤」とか「心の病」ではなく、ズレが身体の不具合に出てしまった。その象徴が親指が切り離されて、行方不明の感覚がずっと付きまとっていることなんだと思う。
生きづらいということが抽象的な困りごとではないし、生活は破綻するほどではないけれど、具体的に困った出来事が日々起きる。運動神経が鈍いとか発達障害だとか、世間に用意された説明に置き換えることもできたろうけれど、格好良くないというか。そうした言葉に乗っかることそのものが腑に落ちなかった。
「この社会に滑らかにつながる存在でなければいけない」という現実の迫り方がなんだか気に食わなかったんだと思う。滑らかに社会につながらせようとする「統合」への抗いが、身体のコントロールがまるで利かない行動として現れていたのだろう。
思えば、うまく身体につながれないもどかしさがずっとあった。いつからかわからないけれど、気付いたらどこか知らない場所にいて迷子になっていた状態に近い。迷い込んでいるのはわかっても、どこからやって来たのかもわからないし、目的地も帰り道もよくわからなかった。
手が僕の言うことを聞いてくれない
この「よくわからない」という感覚が自分に対して初めて披露されたのは5歳の時だ。自転車の補助輪を外して乗れるようになり、母が近くの商店街まで買い物へ行く際、ついて行けるようになった。
自転車に乗れるようにはなったものの、乗りこなすという一体感とはほど遠かった。普通は道具に慣れると自分の手足の延長のように扱えるものだが、「こなれた」感覚がとても薄い。いまだにそうだ。
だから、たとえ毎日料理はしていても包丁はずっと剣呑なままで、つい先日も包丁で親指の肉を削ぎ落とすような勢いで刃を滑らせ深い傷を負った。不注意という問題ではなく、刃物を初めて使ったときの不器用さがしばしば顔を覗かせて、そうして怪我をする。使い続けて何十年になるのに、いつだって新鮮な心持ちに戻れるという不思議さ!
自転車に乗れるようになって行動範囲は広がったが、次第に不穏な気持ちが起きるようになった。というのも漕いでいる最中に「ここで手を放したらどうなるんだろう」という、よくわからない気持ちがひょいと頭をもたげるからだ。
手を放したままで漕ぐという、5歳児からすれば曲芸に近いことに挑戦したいわけではまったくなかった。スリルを味わいたいわけでもない。手を放せばたちまち転けるとわかってはいる。だけど明らかな結果に向けて自分が自分を追い詰める。
手を放そうとする側の勢いが強くて、つい手がハンドルから放れそうになると「危ない」と思わず叫んでブレーキをかける。手が自分の意思とは違う動きをしようとすることに気持ちが必死に追いついて、そうさせまいとがんばる。
だけど、困ったのは放そうとするのもまた自分だし、それに抵抗を示すのも自分だ。どちらの意思が本当なのか?と自転車に乗るたびに問われるわけで、これがとてもしんどい。
しかも、その問うてくる人物は誰なのかもわからない。自分が分裂しているというか層をなしているというのか。色々と混み合っていて、とりあえず自分として感じられるものを主軸にして行動しないとまとまりがつかない。それもまた輪郭が不確かな自分なものだから、とにかく僕は非常に困っていた。手が暴れるというか、言うことをあまり聞いてくれない。
予告された転倒の記録
破綻はある日、唐突にやって来た。買い物に向かおうといつものように母が先頭を走り、僕が追いかける。住宅街を縫う、見慣れた道を走っていたら、酒屋を越えた横あいの道から、「手を放せ」という声が聞こえた。いや、声というよりは、突風が吹き抜ける際に全身に受ける圧みたいな感じと言えばいいのか。
最初、僕は誰かが叫んだのかと思い、びっくりしてブレーキをかけた。あたりを見回すと酒屋の店主がジュースの補充をしていたが、そんな大声を出した気配はない。再び自転車を漕ぎ始める。幼いながら、いま自分が体験しつつあることは尋常ではないとわかっていたと思う。
真っ直ぐ伸びる道は、脇へと逸れる小道と交差しており、彼方にかけて十字路がいくつも目に入ってくる。そこを過ぎるたびにまるで漫画の吹き出しみたいな形で「放せ」という言葉が空中に現れたような、肉眼では見えないはずの景色を目にする。しばらくは耐えられたが、やがてハンドルをギュッと掴んだ強張った手を、力が入った分だけ無理に自ら引き剥がすようにして、とうとう僕は手を放してしまった。
景色が斜めにずれていき、予告された通りアスファルトに肩を打ち付けた。少し先を行く母が止まって振り返り、「大丈夫?」と声をかけた。
僕は必死に起き上がり、また漕ぎ出す。それからはもうダメで5メートルくらい進んでは転倒しを何度も繰り返した。自分でもおかしいと気付いている。涙が止まらない。痛くて泣いているわけではない。
自分で自分がまったく制御できないことに混乱していた。心というものが何かはわからなかったけれど、胸のあたりが広がり、それが自分を呑み込んでしまうような感覚があった。
「手を放さなくてはならない」という言葉を実行する以外に手立てがないような、オートマティックにばったんと転倒するという奇妙な状態に突入していた。あまりに転ぶので母が不審に思ったのだろう。一部始終を見ていた。我が子がわざわざ転けるために手を放している。何をしているんだと思ったろう。
母は僕のもとに駆け寄ると「どうして手を放せば転けるとわかっているのに、そんなことをするのだ」と声を荒げた。心底その言いようを不当に感じた。そんなことはとっくにわかっていることだ。
だから地団駄踏むとはこういうことかというように足を踏み鳴らし、僕は「だって心がそうさせるんだもん」と激昂しつつ、泣きながら抗議した。それを聞いた母は爆笑した。「心がそうさせる」というフレーズがしばらく我が家で流行った。

