失われた親指を求めて vol.4
チックとお祓
前回、5歳の僕に起きた出来事をつづった。自転車に乗っている最中に手を放しては転倒する。そうなることをわかりつつ、執拗に繰り返すといった奇妙な行動をせざるを得なかった話だ。
当時を振り返ると我ながら変だったと思う。けれども「おかしかったな」と全部を笑いごとで済ませられないのは、5歳の自分を襲った切迫さがいまだに僕の中にあるからだ。コントロールなんてできやしない気持ちと身体があって、隙あらば世間の常識からするとおかしな行動に走らせてしまうおうとウズウズしている。それをなんとかしのいでいる。そんな切実さだ。
母は「なぜそんなことをする?」と、アスファルトに横倒しになっている僕に対して怒った口ぶりで言った。僕にはそういう口調に聞こえただけのことで、怒ったつもりはなかったのかもしれない。
でも、記憶の中の母の立ち方は、ちょっと足を踏ん張っていて腰に手を当てている感じで、不可解な僕の行動に苛立っている。「なぜ?」の音の響きにどうにも詰るトーンを感じざるを得ないのだ。そういう光景として思い返されてしまう。
そりゃあの時だって、おかしいのはわかっていた。だけど、どうしようもないことを、その「どうしようもなさ」において責められたりするのはホント嫌だ。これは今でも変わらない。
だって心がそうさせるんだもん!
現実でもドラマでも誰かが何かをできなくて、たとえば仕事で上司が部下に「こんな誰もができることをなぜできない」といった調子で責めたりしていると、すごくむかっ腹が立つ。できないことを「できない」という理由で非難したところで、その人に与えるのは屈辱しかないじゃないか。
たぶん過去の自分の行いとそれへの周囲の評価に対する怒りがあるんだと思う。できない人はそのできなさについて指摘されるまでもなく、当人が嫌と言うほどわかっている。だけど、なぜ自分ができないかがわからないんだからしょうがない。
人って、「どのように」というノウハウについて考えたり話したりするのは、自分なりの答えが述べやすいからわりと好きなんだと思う。だけど「なぜ」という問いには、スラスラと言葉が続かない。仮に「どのように生きていくのか?」と言われたら夢を語れたりするだろう。
けれども「なぜ生きていくのか?」となると途端に口ごもるし、滑らかに語れたはずの夢にも「そう言えばなんでだっけ」と冷静に捉え直したりする。
「なぜ手を放す?」と母に問われた僕が怒ったし泣きもしたのは、そんな実存に関することが軽々しく言えるものか!という憤りがあったかもしれない。泣きじゃくりながらとっさに口をついて出た「だって心がそうさせるんだもん」の怒りを帯びた調子に、今の僕はそう感じる。
幼い自分が果たして心が何かをわかっていたのか。心と身体が分かれているという前提を受け入れていたかはわからない。
だけど、はっきりしていたのは、思いのままに動くはずの手がままならなくなってしまい、そのままならさのどうしようもなさについて簡単に答えられるわけがない、ということだった。ままならさだけが全てだったのだから。
この子はまだ右半身が成長していない
「だって心がそうさせるんだもん」事件の数日後、両親に連れられ京都の宇治まで出かけた。地元では有名だという祈祷師のお祓いを受けるためだ。宇治へ行くためにどういう説得をされたのか覚えていない。「平等院に連れて行ってあげる」と言われたことは覚えている。神社仏閣や城郭が好きだったため、華麗な鳳凰堂に釣られたのだと思う。
それにしてもなんで祈祷師だという話だ。イタコやユタがいるような文化圏ならともかく、親はどうして僕にお祓を受けさせようと思ったのか。今なら精神科に直行だろうけれど、当時は精神病に対する偏見は強かったし、まして子供がカウンセリングを受けるとなればなおさらだった。世間からの偏見の目を避けて、祈祷を選択したのだろう。
控えの間から廊下を歩き右に折れ、畳の敷かれた部屋に入ると、巻き上げた御簾が目に留まった。奥に白装束を着て、紙を切って垂らした幣(ぬさ)を持った女性がいた。僕は言われるままに首を垂れると、彼女は頭上を幣で払い、合わせて何やらモゴモゴと僕には聞こえたが、祝詞をあげた。祓い終えると祈祷師は「この子はまだ右半身が成長していない」と野太い声で告げた。
帰りに平等院を訪ねた。かねて見たかった鳳凰堂なのに、その日の僕はずいぶんぐずっていた。いつもはおとなしく、聞き分けが良いのになんだか不穏な心持ちがして落ち着かなかった。
訪れては去っていく奇行たち
しばらく経ってチック症が始まった。目をパチクリする。洟水が出てなくても頻繁に鼻をすする。さらに、これを異食症と呼ぶのが適当かわからない。ともかく初めて人に言うのだけど、寝る前にカラーのサインペンで舌に3色を塗るという儀式があって、これを済まさないとベッドに入れなかった。苦くて「おえっ」と吐き気を催す味なのに、せざるを得ない。とんでもなく変ではあるとわかっていたので、決して親に見られてはならないという緊張感で毎夜臨んでいた。
チック症には流行があって、パチクリの瞬きのシーズンが終わると奇声ほどではないけれど、声を出してしまうといった別の症状が出てきた。
ある時、何かに噛み付いていないといても立ってもいられないという心持ちになるというのがやって来た。ちょうどその頃、父が新しく車を買った。ドアの内側も革張りで、それを見ているとどうしても噛み付かざるを得ない気持ちになってしまい、かぶりついてしまった。それを見た父はうぉっ!と声をあげると、慌てて僕を引き剥がそうとする。こちらは離されまいとがんばったおかげで、新車の内装にはしっかり歯型がついてしまった。
傍目には奇行にしか見えないだろうけれど、チック症というのは自然とそうなってしまうものだし、本人にはどうすることもできない。だから、過ぎていくのを待つしかない。自分ではない自分が露出しちゃっている感じだ。舌に色を塗る以外は見られると恥ずかしいという気持ちはあんまりなかった気がする。
「舌に色を塗らなくてはならない」という強迫さについては、やりたくないけれどそれをせざるを得ないという葛藤がものすごくて、だからその瞬間は自分が迷子になる感覚があった。自転車のハンドルを放すのも同じだった。手を放すのも自分だし、それをそうさせまいとするのも自分の手。同じ手だけどそうじゃない。
「これは僕の手だ」と言えるはずの手は特にコントロールしている感じもなくて、普段だとコップを取ろうと思えば、ごく普通に自然に取れる。でも、その手が突然ハンドリングできなくなる。同じはずの手をめぐる自分の争いみたいな混乱した状態になると、自分がどこにいるかわからなくなる。
逆流する時間
やがて、「自分がどこにいるかわからなくなる」状態が不意打ちみたいに訪れるようになる。これはもうチック症の範囲にないかもしれないが、それがやって来ると因果関係が逆転するような時間に巻き込まれてしまって、混乱はさらに深まる。どういうことかと言うと、たとえばこんなことがあった。
ある日、僕の身体には不釣り合いな大きさの掃除機をかけていた。最初は機嫌よくブラシを絨毯に滑らせていたものの、ふと脇を見ると水を張ったバケツが見えてしまった。父が窓を拭くために用意したものだった。
掃除機とバケツを交互に見て、確認してしまった途端、僕の視野にはスポットライトが当たったように掃除機とバケツしか見えなくなった。そして、ふたつのあいだに「水を吸わなくてはならない!」という横断幕が現れ、肉眼で見ている部屋とは関係のない舞台みたいな景色になってしまった。もちろん、水を吸えば掃除機が壊れるかもしれないというのはわかっている。
「AをすればBになる」という因果関係においてBが不利益を生じさせるならばAは行わない。至極当然の話だ。でも、現実が別の次元に滑り降りた世界では、僕には「Bがすでに確定してしまっているのでA以外の方法がない」というような関係に見えてしまう。これから何かが起きるのではなく、すでに起きてしまったということが、僕に示される。
つまり見え方がふたつある。ひとつは肉眼で捉えたレベルの現実で、ここではバケツの水は吸われていない。おそらく多くの人が共有しているはずの現実だ。それとは別にもうひとつあるのが「起きてしまった現実」でバケツの水は既に吸われてしまっている。後者のあり方が僕の視界というか心中いっぱいに広がってしまう。
あくまで掃除機は水を吸い込んではいないのだが、自分の中ではすでに吸い込まれているので、まだ吸い込んでいないとすれば、水を吸い込む以外になくなる。急いで現実に合わせないといけない。他人からは奇矯な振る舞いに見えても、僕からすると現実を修正することに近かったのではないかと思う。
こんなことをしてしまっては台無しだと思いながらも、バケツにノズルを突っ込んだ。掃除機はゴボゴボと音を立てて水を吸い込み、ゴミをためる箇所から水が溢れ出てしまった。いつもであれば、「何をしているんだ」と怒鳴ってもおかしくない父は、その日は呆然としている僕を見て何も言わなかった。
ホチキスを親指にとめてみた
この因果関係のねじれによって、様々なものを壊した。この流行が止んだのは、ホチキスで指を留めたときだった。ホチキスを使っていたら、ふと親指が目に入ってしまい、そうすると例の景色の一変が始まってしまった。
「親指にホチキスをとめないといけない」
そんな気持ちになってしまい、またしても「ああ、そんなことはしたくないのに」と止める僕の手を僕が振り払う。振り払うのは心なのか。心がこんなことをさせるのか。そんな思いが湧いても、行いをやめさせることにはならず、親指の腹にパチンと勢いよくホチキスの針が食い込んだ。
痺れるような激痛が走った。針の内側が折り畳まれて肉に食い込んでいるので、それを取ろうとするとさらに痛みは増した。
痛い。痛いのだけれど、この痛みは誰の痛みなのか? 心なのか身体なのか。この強力な問いかけは、それまで漫然と離れていた心と身体を少し近づけた気がする。距離があるには変わらないが、ようやく互いの存在を目の端くらいには捉えるようになったという感じだ。
おそらく強迫性障害と言われるような行動なのだろう。しかし、障害と言っても生活全般に難儀したわけではなく、困る時間帯があった。僕は自転車の手放しを「心がそうさせる」と言ったが、時と場合によっては「心はやりたがっていないのに身体がそうさせてしまう」感覚もあった。
心と身体が分かれていて、互いにそれぞれの言い分があり、僕という存在はその「あいだ」にいる感じだった。あいだにいるからといって調停者にはなれなかった。そもそも心と身体が互いの存在を理解していなかったのだ。


